第12回定期演奏会

 

特設ページ



音楽監督挨拶


©TAKUMIJUN

 2020年。

 コロナ禍の中、私たちは活動を止めませんでした。

 通常練習と同じ週1回、オンライン上のZoomに集まり、私が毎週講義をしました。和声、楽典、分析、時にはゲストを呼んで発声のこと・・・などなど。この状況を逆手に取って、この状況の中でしかできないことをやってやろう、とリモート合唱には目もくれずに、大学の授業よろしく、座学座学座学。少しでも共通言語が増えることによりアフターコロナでの練習が充実するだろう、という魂胆がありましたが、何よりもその時期にオンラインとは言えメンバーが集まることが大切だったようで、講習、その後に続くオンライン飲み会などで絆を育んだのだと思います。

 

 2021年。

 「東京春のコーラスコンテスト2021」に出演。20名以下というレギュレーションがあるヴォーカルアンサンブルコンテスト。緩やかに活動が開始されたものの、大人数が集まることは難しかった状況もチャンスと捉え、少ない人数でのアンサンブルをすることにより、大人数では見えないこと、得られないことを体験しようとグループ分けを行って参加しました。「あい混」を、主に入団して日が浅いメンバーで構成する「あ混」と、すっかり慣れたメンバーの「い混」に分けて、指揮者も初めて団員に任せました。私もオプション的に「う混」を組織、指揮し、結果的に「あ・い・う混」の3団体で出場、全団体金賞(「い混」は部門一位)を受賞しました。また、その半年後に2年ぶりに開催された秋の「東京都合唱コンクール」でも、混声合唱の部2位金賞を頂くことができました。

 

---

 

 2020年の5月に行う予定だった定期演奏会「ピアニストの響演」を中止とする、苦渋の決断から2年。主催演奏会としては3年振りのものとなります。気がつくと、コロナ禍の間に新しい団員を20名以上も迎えています。が、その中で是非紹介させていただきたい方がいます。

 

 宮本正太郎さん。私の事務所に初めて訪れたとき、彼は「合唱の経験がないのだけど合唱曲を書きたいから見て欲しい」という主旨のことを話していました。演奏者としての経験が必要だと悟った彼は、あい混に入団し、すぐに団の中心メンバーの一人となりました。器楽専攻だった彼のアンサンブルトレーニング、耳の精度などは、今のあい混の大きな大きな武器になっています。宮本くんは、見事に2021年度の朝日作曲賞(合唱)を受賞。これから作曲家としてより活躍していくことと思いますが「作曲する時はいつも相澤先生(の指揮する音楽)に影響されている」と当初から一貫して言ってくれている彼に、今回の演奏会に向けて、どこよりも先にあい混声合唱団から2つの作品を委嘱しました。ひとつがアカペラの小品集、そしてもうひとつは器楽的な要素も盛り込んだ大作(ピアノ連弾と数種の打楽器を含む)です。この演奏会が、彼にとって大きな門出となることを、私はもちろん、団一同心から望んでいます。

 

 私たちの団は、新しいステップに突入したのだと、ワクワクした期待を覚えます。この難しい時期を、そんなワクワクを共有しながら共に乗り越えた60名は、最高の運命共同体、音楽共同体です。私たちの新しい歌を、力いっぱい響かせます。

 

音楽監督 相澤直人



代表挨拶


 本日はご多用の中、あい混声合唱団第12回定期演奏会 −そのあとがある− にお越しいただきまして、誠にありがとうございます。新型コロナウイルス感染症の影響により、約3年ぶりの開催となりました。今日の日を無事に迎えることができ、団員一同とても嬉しく感じております。本日に至るまでお力添え下さった皆様に心より御礼申し上げます。

 さて、本日は当団団員の宮本正太郎さん作曲、“混声合唱のための「となり」”と“混声合唱とピアノ連弾のための「アモール・ファティ」”を初演致します。作品の誕生の瞬間に立ち会うことができ、しかもそれが団員の作品であることは、この上ない喜びです。また、今回より衣装を一新致しました。木村妙子様に団員に合わせて一からデザインしていただき、今日がお披露目となっております。ぜひご注目ください。

 最後になりましたが、当団はおかげさまで3月に創団15周年を迎えました。コロナ禍にも関わらず、新たな団員も増え、相澤直人先生のホーム合唱団として、何が表現できるのか日々模索しながら、より良い音楽を求め練習に励んでおります。まだまだ成長段階でございますが、今後も精進していきたいと思います。ご声援よろしくお願い致します。

 

代表 木村有紀



プログラムノート


混声合唱曲集

《木とともに 人とともに》

谷川 俊太郎 詩/三善 晃 曲

 

 

 あい混声合唱団第12回定期演奏会は、20世紀の名曲で幕を開ける。

 混声合唱曲集《木とともに 人とともに》は、谷川俊太郎の詩をテクストに、20世紀末に作曲された3曲から成る曲集である。一般に「曲集」は、音楽面・ストーリー面・構成面において「組曲」と比べてそれほど統一性を有していない場合も多いが、この3曲は「いのち」を歌うという緩やかなコンテクストのもとに一つの作品をなしている。

 

〈木とともに 人とともに〉

 1999年、当時三善が館長を務めていた東京文化会館主催の第一回合唱の祭典「上野の森コーラスパーク」のテーマ曲として、谷川俊太郎の書き下ろしの詩に作曲された。オプションとしてピアノと童声合唱との合同で演奏することが可能であるが、本日はオリジナルである混声合唱ア・カペラをお聴きいただく。

 2/2拍子(アッラ・ブレーヴェ alla breve)の中に細かいシンコペーションが湧き上がるエネルギーを表現するこの作品では、「木」「人」「声」といった詩句が合いの手のようにタイミングをずらして歌われるが、その様はあたかも木が生い茂って森となり、そこに人々が集い方々で声をあげて歌い出す...そんな情景を描いているようだ。そして、そうした光景を歌によって描き出すことの意味は、2022年という今、作曲当時からより深まっているようにも感じられる。

 さて、この曲の終結の和音ではバスが根音にない転回形をなしているが、オプションであるピアノのハ音が根音として合唱の響きを補強する。すでに完成された曲でありながら、更なる響きが加わることを曲自身が欲しているかのようだ。

 

〈空〉

 「我思う、ゆえに我あり」とはデカルトの命題であるが、谷川と三善からすれば「私じゃない人にとりかこまれているから、私はまだ私になれるんだ。[1]ということのようである。喜びだけを歌うのが愛ではないし―「愛ゆえに孤独を感じる」というのではなしに―「不在と孤独が愛を育てる」というのはいかにも三善的なテーマである。音楽もそれに少し似ていて、調性感が感じられるのは主和音が鳴り響き続ける時ではなく、むしろ属和音の存在によってである。

 元々独唱のポップス曲だったこともあり、有節歌曲形式[2]とみることができるが、ヘ長調のように聴こえるこの曲で、属和音からの全終止がみられるのはそれぞれの節の終結部のみである。そこでは「さびしい」「あいたい」という重要な詩句が歌われるが、回を重ねるごとにこの属和音の中に変イ音が付加されるようになる。このときに予感されていた変イ音は、曲の終結にあってヘ長調の主和音へ・イ・ハ音に変イ音が混ざりこみ、長調と短調が混在する所謂dur-mollのような響きとなり、そこに平行短調を感じさせる二音も加わり、それが会場中に溶けていく。そう、「さびしさはふたりで生きている証し」。

 

〈生きる〉

 この曲には―ピアノのための無窮連祷(むきゅうれんとう)による―という副題が付されている。「無窮」[3]の名の通りピアノによるテーマが繰り返し奏でられるが、連祷とは東方教会では祈りを歌いかわすという儀式を指す。ピアノの祈りは聴き手と合唱団に投げかけられ、合唱がそれに応じて歌いかえす。

 〈生きる〉と題したこのテクストは、論理ではなく感性の詩である。つまり、一般的抽象的ではなく個別的具体的な詩句の連なりである。喉が渇くのはあくまでも一人一人に個別の出来事であるし、「いま」生きているからこそ「いま」木漏れ日がまぶしいのである。ピアノの無窮連祷に対して、合唱は「生きているということ」のそれぞれにとっての個別性と現在性を投げ返し続ける。「生きている」限りにおいて、その現在性もまた無窮である。

 「いまぶらんこがゆれているということ/いまいまが過ぎてゆくこと」。繰り返しを含めて79小節であるこの曲のちょうど折り返しに差し掛かるとき、それまでハ短調の響きが色濃かった中に、変ホ長調の属和音から主和音への進行が表れ、我々は一瞬中空に浮遊したように錯覚する。それはまるで、ブランコの振り子運動がその頂点で一瞬だけ速度を失うように。そして、ブランコをゆすっていた主体の不在に気付くように、再び「いまが過ぎてゆく」ように音楽が流れだす。

 音楽はその後、最終行「いのちということ」を繰り返して声ならぬ声でfffの頂点を迎えた後、心臓の鼓動のような男声のボカリーズが徐々に緩やかになるのとともに、「生きるということ」「いのちということ」と歌いながらmorendoする。morendoは敢えて訳せば「死にながら」である。私は三善晃の言葉を思い出した。「死者は立ち停まってい、私たちは私たちの足でそこに近づいてゆくことによってのみ生者である」[4]

 

[1] 荒木経惟・谷川俊太郎『やさしさは愛じゃない』幻冬舎 及び 三善晃作曲・混声合唱のための《やさしさは愛じゃない》より

[2] 所謂、1番、2番、、と同型の旋律が続く形式

[3] むきゅう:きわまりがないこと、無限

[4] 三善晃『遠方より無へ』白水社 より

 

(倉本潤季)


混声合唱のための

《となり》

谷川 俊太郎 詩/宮本 正太郎 曲

 

 

 「アカペラで愛唱曲を」というオーダーをいただき、2021年4月から5月にかけて作曲しました。谷川俊太郎先生の心温まる3編のテキストを選び、ほぼ直感的に音をつけていきました。  

 

 〈1.ここ〉

 軽快なリズムにのせて、ややコミカルな旋律が男声によって奏されます。またト長調ではじまった音楽は僅か10小節で嬰へ長調へ姿を変えながら、おどけるように展開されます。

 コーダでは冒頭の旋律と中間部(ロ長調)の調性を同時に再現することで、複合的な盛り上がりを見せつつ、最後は可愛らしく曲を閉じました。

 

 〈2.窓のとなりに〉

 詩は同じ韻律で書かれた5節から成り立っています。音楽はドリア旋法と長音階が交互に奏されつつ、詩の遠近感に沿ってダイナミックに構成されています。

 

 〈3.そのあと〉

 変イ長調の静かなコラールではじまります。それは次第に力強く変容し、組曲全体の音楽的な充実を図るとともに、詩がもつ「希望」にアプローチしています。

 

 私にとってはじめてのアカペラ作品となった「となり」。このタイトルはあい混の団員がつけてくれました。

 

(宮本正太郎)


混声合唱とピアノ連弾のための

《アモール・ファティ》

黒田 三郎 詩/宮本 正太郎 曲

 

 

 アモール・ファティ(amor fati)とはニーチェの提唱した哲学用語であり、運命愛と訳されます。 「運命のあるがままを受け入れたとき、そしてそれを愛したとき、人は本来の創造性が発揮できる」という意味の言葉ですが、詩人黒田三郎(1919-1980)はそれについて強い憤りを覚えた詩を残しています。情感が溢れ出す言葉の数々に、創作意欲を掻き立てられました。

 

 〈前奏曲〉

 ヴォカリーズの静謐な音楽。合唱と3本のハーモニックパイプによる音響は「前奏曲」としての緊張感を生むと同時に、分散された主題を提示します。

 

 〈アモール・ファティ〉

 空虚感ただよう前奏がピアノによって奏された後、拍節を持ち始めた音楽は次第にリアリティを増していきます。やがてマーチの律動を持つrisoluto部分へと移行し、否応なしに音楽は推進していきます。短2度ずらされた長三和音や、無声音による音像が混沌を生み、やがて高まった感情はソプラノソロの絶叫に集約されます。

 場面は一転し、合唱でうたわれた旋律がピアノによって内的に再現されます。また休符を含む6連符の動機が新たに提示され、大きなうねりを演出します。一節の盛り上がりを見せた後、前奏曲の音響が走馬灯のように回帰します。そのオアシスが起爆剤となり、一気呵成に終結へと向かいます。

 

 曲に実験的な部分がありながらも、常に寄り添いながらリハーサルを進めてくださった相澤直人先生、今回ピアノを弾いてくださる松本望さん、渡辺研一郎さん、あい混の仲間たち、そして初演に立ち会ってくださるみなさまに、この場をお借りして感謝の意を申し上げます。

 

(宮本正太郎)


混声合唱とピアノのための

《新しい歌[改訂版]》

信長 貴富 曲

 

 

 「信長貴富の代表作といえば?」というテーマには十人十色の回答がでてきそうな作曲家だが、《新しい歌》を候補に挙げることに異論を唱える者はいないだろう。今日初演を迎えた2作品を挟んで、再び20世紀最後の年に生まれた作品を演奏するが、エポックメイキングという意味でも、この作品はまさしく「新しい歌」であった。男声合唱として作曲され、同年混声合唱でも初演された。

 音楽に触れていれば、「新しい歌を主に向かって歌え」という詩篇の一節を想起するかもしれない。賛美の内容を心から受け入れ、常に新しい心で神に対しなさいというのが「新しい」の意味とされるが、「うた」をテーマに作曲された5曲からなる作品を、集い歌うことの新鮮な喜びとともに、歌う。

 

 

 Ⅰ. 新しい歌  G. ロルカ 詩/長谷川四郎 訳詩

 フェデリコ・ガルーシア・ロルカ(1898-1936)は、フラメンコでその名が知られるアンダルシア地方に生まれた。フラメンコやカンテ・ホンド[1]といった伝統的・民俗的音楽に囲まれて育った詩人は、絵も描けばピアノも弾き、歌も作るという文化の人だった。

 あらゆる楽音の前に、まずフィンガースナップが響く。「リズムなしに音楽は生まれない[2]とは芥川也寸志の言葉だが、そこに集まった歌い手たちが即興的に歌い出したかのような幕開けだ。シュールレアリスムの影響を受けたロルカらしい詩句や、ファシストに銃殺されるというショッキングな最期を迎えた彼のリベラルな活動などからは一見ギャップがあるようにも感じられるエネルギッシュな音楽はしかし、ロルカの詩作を語るうえで欠かせないドゥエンデ―言い表せぬ神秘的な魅力―をまとっているのかもしれない。

 

 

 Ⅱ. うたを うたう とき  まど・みちお 詩

 童謡〈ぞうさん〉〈一ねんせいになったら〉で知られるまど・みちお(1909-2014)は山口県で生まれ台湾で育った。絵雑誌『コドモノクニ』で北原白秋が選者を務めた童謡募集に投稿し、特選となったことをきっかけに童謡と詩作の世界に入った。

 全曲で唯一ア・カペラで書かれている。句読点のない、ひらがなのみで書かれた詩であることの柔らかい感触とア・カペラの響きに親和性が感じられるが、それは♭が3つという調性にも現れているだろう。(仮にこの詩が全編カタカナであれば、♯が4つほどついた曲になっていたのだろうか。)

 ハ音のオクターブが聞こえてくる。いつから聞こえていたのだろう。つい先ほどなのか、気づかぬほど昔からだったのか。♪=84というゆるやかながら決して淀まない流れで進む。「うたが いきたい ところ」へ想いを馳せた後、ハ短調で始まった音楽は平行調の変ホ長調でやさしく私たちを包み込む。

 

 

 Ⅲ. きみ歌えよ  谷川俊太郎 詩

 日本の合唱において、谷川俊太郎(1931-)ほど「避けて通れぬ」詩人はいないだろう。今宵も3つのステージで谷川のことばから生まれた作品を演奏してきた。歌の詞として書かれたものも多く、そのジャンルも―例えば〈鉄腕アトム〉など―合唱曲から童謡やポップスまで幅広い。

 スウィングするピアノにつられて男声が歌い出す。このリズムパターンは私たちを自然と道の先へ連れ出してくれる。また、楽譜の冒頭には付点8分音符と16分音符を3連符のように読み替えるという所謂スウィング記号が付されている。視覚的には楽譜に書いてあるものとは異なるリズムで演奏することになるため、スウィング記号は楽譜を読む人にある種のアバウトさを与える。歌い手それぞれのリズム感覚に自由が与えられているようだ。

 同一の詩句に対して声部ごとに拍節をずらすことで異なる音楽的リズムを生み出すことは信長の得意とする書法であるが、リズムがずれて歌われる様は、方々から「君」に歌いかけているようでもある。こんなに素敵な音楽なら、確かにベートーヴェンのような気難しい人でも―聴こえないはずのその歌を―口ずさみたくなるかもしれない。

 

 

 Ⅳ. 鎮魂歌へのリクエスト  L. ヒューズ 詩/木島 始 訳詩

 世界一周旅行の折に日本を訪れたこともあるラングストン・ヒューズ(1902-1967)は、黒人の生活を描きながら彼らの地位向上を目指した。ブルースやジャズといったブラック・ミュージックを題材にした作品も数多い。

 ヒューズが40代の頃の詩がテクストになっているこの曲には、〈セント・ルイス・ブルース〉と〈セント・ジェームス病院〉というブルースの名曲の名前が登場する。ブルースはアメリカ南部から広がった「歌」を主役とする音楽で、当時の黒人たちの生活の傍らにあった。

 ブルースの特徴の一つでもあるブルー・ノートと呼ばれるぶら下がった第三音が用いられた旋律が、気だるげな雰囲気を醸し出す。〈セント・ルイス・ブルース〉の旋律を奏でる間奏を挟み、冒頭の旋律のバリエーションをソウルフルに歌いあげたのち、「あそこ 空の高みでは。」とディミヌエンドした先でたどり着いたのは、〈うたを うたう とき〉と同じ変ホ長調の和音だった。

 

 

 Ⅴ. 一詩人の最後の歌  H. アンデルセン詩/山室 静 訳詩

 『みにくいアヒルの子』などで知られるハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1875)は、貧しい家庭に生まれオペラ歌手を目指して挫折するも、大詩人として身を起こした。同じ詩をもとにグリーグも歌曲を残している。

 曲は、〈鎮魂歌へのリクエスト〉の終止と同じ和音から始まる。光に向かって―或は死に向かって―力強く突き進むように幕を開けた音楽は、硬質な四度/五度とシンコペーションから構成され力強く「死」について歌う部分と、「神と自らの人生」についてしなやかに歌う部分とを繰り返す。詩人の「死」に対する視線は、篤い信仰心の表れでもあり、死がむしろ救いであるような貧困生活にも由来しているのかもしれない。

 終結部に差し掛かり、曲はア・カペラとなる。最後の炎を燃やすようにクレッシェンドする音楽は、ここにあって厳しい五度のテーマからなめらかな順次進行へと溶けていく。たどり着いた和音はヘ長調だが、ソプラノは階段を昇りきらずにホ音で留まる。煙のように緩やかに昇華していく合唱の「さようなら」の余韻の中、ピアノが、最も遠いはずの和音を、一度だけ、響かせた。

 

[1] 「深い歌」の意味で、心の奥の想いを振り絞るように歌う即興的民謡。

[2] 芥川也寸志『音楽の基礎』岩波新書

 

(倉本潤季)


第12回定期演奏会特集


会場アクセス


〒184-0044

東京都小金井市本町6-14-45

🚃JR中央線「武蔵小金井駅」南口駅前

🚌小田急バス、関東バス、西武バス、京王バス「武蔵小金井駅」下車 徒歩4分